膵臓がん発覚から亡くなるまで

膵臓がん闘病ブログ

今までのブログでは膵臓癌と言われるまでのことだったり、言われた後にやったことなど書いてきましたが、膵臓癌と言われてから亡くなるまでの体の変化について今日は書こうと思います。

今までのブログでも書いた通り旦那は、抗がん剤を1度だけやり、その後は自然療法など標準治療以外の治療をしてきました。

標準治療以外の癌治療

【発覚】2021年9月末頃

【病名確定】2021年10月18日

【死亡】2022年5月28日

発覚から亡くなるまで8ヶ月間の話です。

 

【2021年9月末】

みぞおちと背中の痛みで、膵臓に腫瘍見つかる。

【2021年10月18日】

国立癌研究センターで正式な病名【膵臓癌ステージ4b】と告げられる。

その後抗がん剤(フォルフィリノックス)を1度やりましたが、軽い吐き気と食欲不振、怠さがありましたが髪の毛は抜けず、体重は一気に8kg痩せました。

旦那は抗がん剤をよく思っていなかったので、メンタル的にもかなりのダメージがありました。

【2021年11月〜2022年3月】

抗がん剤(標準治療)から離れ、自然治療など代わりの治療をしてきましたが、抗がん剤をやっていた時に比べメンタル状態は良くなり、血液検査も毎月どんどん良くなっていき、生きることを前向きに頑張っていました。

癌の痛みにも波がありましたが、痛み以外は本当に健常者と変わらないくらいで、食欲もあり、毎朝ウォーキングと筋トレは欠かさずやり、旦那の運転で買い物や旅行にも行きました。

【2022年4月】

急激に肝臓の数値が悪化。

抗がん剤を辞めましたが、痛み止めの薬を貰うため毎月癌センターに通っていました。

その時にいつも採血をしていたのですが、肝臓の数値が急激に悪くなり黄疸の可能性もあるからと【ステント】を進められる。

旦那も私もこの頃は勉強不足だったということもあり、ステントがいまいちなんなのかもよく分からず、たまたまそれを進めてきたのも主治医じゃない人だったというのもあり、本当に体に入れても大丈夫かと不安になりステント入れることを保留にしていました。

この頃から恐らく骨盤にも転移していて(CT撮っていなかったので分からず)座ることすらできないくらいの痛みに襲われる。

2021年10月から横になってベッドで寝れなくなった旦那は椅子で座って寝ていましたが、骨盤の痛みで今度は座ることすらできなくなったので松葉杖を購入し立って寝ることも増えました。

去年の9月癌発覚時に90kgあった体重も、この頃にはだいぶ痩せてしまいました。

こんな状況でも食欲はあり、毎日欠かさず軽いウォーキングや筋トレをしていました。

【2022年5月】

ステントを一旦保留にしていたせいか、体は猛スピードでドンドンと悪化していき、白目が若干黄色いし黄疸かも?と4月の時点で思っていたのも1ヶ月で白目は完全に黄色、顔まで真っ黄色になってしまいました。

腹水もかなり酷くなってきて圧迫され心臓も痛く、息も苦しくなってきたので腹水除去で有名な病院で抜きにいきました。

腹水の話もまた今度詳しく書いていこうと思います。

【2022年5月(亡くなる1週間前)】

腹水除去後、体は衰弱していき、もう明日どうなるかも分からないくらいの完全な終末期に入っていきました。

この頃は更に癌の痛み(骨盤)が酷くなりモルヒネを使うようになる。

だんだんウトウトしてることも増えていきましたが、ちゃんと食欲もあり、自分でトイレに行き、自分でお風呂に入り、普通に会話もしていました。

【2022年5月27日】

こんな終末期な状態でしたが、旦那は生きることを1ミリも諦めていなく私自身も奇跡はまだ起こせるかもと思っていました。

この日は胆汁を抜く手術をしに行ったのですが、私だけこっそり先生に呼ばれ「もう心筋梗塞も起こしてるし、かなり衰弱しているし、いつ死んでもおかしくない。突然死するから覚悟してね。」と告げられました。

体の状態は、ウトウトはしてるものの意識はハッキリとしていて会話も普通にしていました。

食欲もあり、この日はコンビニのチキンを食べながら病院へ向かい、術前もハイチュウを食べました。

【胆汁手術後】

夜手術が終わりましたが、術後急変し暴れもがき苦しむ。

【2022年5月28日】

日付が変わり3時40分家族に見守られながら亡くなる。

ざっくりと流れを書きましたが、また更にいろいろと詳しく書いていこうと思いますのでよろしくお願いします🙇‍♀️



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