余命宣告

膵臓がん闘病ブログ

皆さんは自分の余命、又は家族や友達、大切の人の余命を知りたいですかはてなマークはてなマーク

私は自分の余命も、自分の周りの大切な人の余命も知りたくありません。

なのでもちろん旦那の余命も知りたくありませんでした。

私の場合、余命を知ってしまうと迫り来る死の恐怖が勝ってしまって不安になり、今を楽しく生きることができなくなってしまうからです。

旦那も自分の余命は知りたくなかったはずです。

せっかく生きるために頑張ってるのに、潜在意識が死を意識させちゃうから。

最初はみぞおちが痛いから始まり、ただの食べすぎの胃もたれだと思っていたことがまさかの余命1年宣告!!ダウンダウン

自己紹介

 

何もしなければ間違いなく1年で死ぬ」と最初の総合病院で言われましたが、この頃は特にこれが余命宣告だとは思いませんでしたが、今思えば完全に余命宣告だったなとアセアセ

その後は国立癌研究センターに行きましたが、そこでは特に余命は言われませんでした。

抗がん剤を1度で辞めしまったというのもあるせいか、私たちの余命を言わせないオーラが出ていたかそれは分かりません。

その後、黄疸に腹水と終末期に入り腹水を抜いた所の病院で、緩和担当の先生に痛みの相談をしに行きました。

骨盤の痛みが酷かったので、先生に骨盤を見せる時旦那が「僕こんなミイラみたいな体になっちゃって、、、」と言い

先生は「大丈夫だよ!」と言って旦那の肩を優しくポンポンおいで

旦那が泣きそうになりながら「僕たちまだ新婚なんです!やらなくちゃいけないこと沢山あるんです!」

先生「そっかぁ、、そっかぁ、、まだやりたい事沢山あったんだね〜。」

その後先生に「奥さんと2人で話がしたいです」と言われ私はここで悟ってしまったのです。

恐らく余命を告げられ、残りをどこで、どのように過ごすかって事だなと。

結局私は1ミリも旦那の余命など聞きたくなかったし怖いし、旦那と相談し結局2人でまた病室に入ることになりました。

そこで先生に言われたのが「あと1週間で体に何か大きな変化が出てくるかもしれません」と旦那本人もその場にいたこともあり、やんわり言われました。

 

やんわり言ってくれたからか、私はこれでもまだ余命宣告だとは思ってなく、もしかしたら本当に1週間で何か体に異変が起きるかもしれないし、でもまだご飯も食べれてるし自分でトイレにも行けてるし奇跡は起こせるかも!と思っていました。

その後、、、

先生が言った通り本当に1週間で急変し亡くなりました。

結婚生活はあっという間に終わってしまいましたが、1度の抗がん剤で入院以外はずっと一緒に過ごすことができて良かったなと思います。


シリカ水が作れる安心安全の日本製【高機能浄水器Welvina】

タイトルとURLをコピーしました